月命日…6回目。
4月に息子の百箇日を終えた時、今まで法事やら、やるべき事を終えた時のこと。
ちょうど桜の満開の季節でした。
毎年、近くの河原の土手にビールと柿の種を持ち、夫婦で花見がてらに歩くのが例年行事となっていて今年もふらっと出掛けてみた。
いつも起きない感情が今年はあった。
息子が幼い頃、桜を見上げて見てたら首が痛くなったとゴネた時のこと…。
みんなで花見をしていて焼肉のタレを新品の靴にかかり落ち込んでた時のこと…。
去年は花見だと言うのに浜辺でBBQをして砂浜で私と相撲をして大爆笑をした時のこと…。
桜を見て毎年の息子との桜にまつわる思い出が次々と現れて涙が止まらなかった。
もう、息子とは桜にまつわる思い出が作れないんだ…と実感した。
今年一年、いや、毎年来るんだろうな。
四季が巡り、その時々の思い出が次々と現れて、息子の居ない現実を目の当たりにするんだと。わかってるんだけど、居ない実感がない。現実を受け止められなくている自分がいるからだ
そう言えば、月命日前後もそんな感覚だ。
去年の今頃は…
何年前の今頃は…
幼い頃の今頃は…
そんな感情になり、また涙が止まらない。
記念日反応っていうんだな…。
初めて知った。
息子が旅立ち、私の事を自死遺族と言うのも初めて知った言葉だ。
今日は息子が旅立って半年。
私の初めての感情や言葉を知った半年だ。
何もなければ知らない感情や言葉。
…辛いよ。
辛いけど今日はどっぷりと息子の思い出に浸かりたいと思った。