言葉は難しい。
ネットでこんな投稿を見た。
家族を亡くされてすぐの事。悪気ない言葉に傷付いた投稿者の話。
投稿者の同僚の一人の方は、とても丁寧に話をしてくれて寄り添ってくれたそうだ。
もう一人の同僚の方は茶化す様な言い方をされたそうだ。
7年経過した時、はじめの同僚の方は家族が亡くなった事を忘れている。
もう一人の方は、亡くなった月年度に必ず声を掛けてくれてるそうだ。「もう、7年も経つんだね」と。
その投稿者は「私が信頼できるのは後に出て来られた同僚の方だ」と書いていた。
人によっては言葉が苦手な人もいる。
相手を想う上で空回りし、良かれと選んで話し失敗しちゃう時もある、と。
私も息子が旅立ってすぐ、友人に「この経験が強くなれるんだよ。頑張って」と言われ言い返そうになった事がある。
こんな経験した事ない人に言われたくないし、こんな経験で強くなりたかないし…と。
今、その友人は事あるごとに息子に会いに来てくれている。
どんな友人よりも息子に会いに来てくれている。
この投稿を見て、私も知らぬ間に同じ事をやってるんじゃないか、と気付く。
言葉は難しい。
でも「想い」は必ずどんな形でも届くと信じる投稿だと思った。
しかし、その友人。
来ると仏間に入る時「おばちゃん、また来たでー。うるさいおばはん来たって思ってるやろー」と自分で言って爆笑してる。(笑)
最後に「おかんと次男はおばちゃんに任せてな」と言って帰って行く。
有難い。
きっと息子も「あのおばちゃん、また来たで」と笑ってくれているかと思う。